続・帰ってきたはぐれ日記

@えりえりの個人ブログ ネットまわりのことを主に書いていきます

読解力のたいせつさ

空気を読む、あるいは読まないという言葉を耳にするようになって久しいけど
ほんとうに大切なのは
その場の雰囲気に、ただ漫然と合わせるような「空気の読み方」ではなく

いわゆる「行間を読む」と表現されるに近い
会話のやり取りや、前後の流れをくみとる「読解力」なのではないかと思った次第。


────わー論旨終了〜(笑) ここよりは蛇足になります(笑)────


この数十年
こういう、流れを理解する国語能力、読解力の乏しさによる行き違い会話を
ネットでも、現実でもよく見聞きします。

その原因の多くは
ますます省略されていく、日本語会話にもあるように思いますが
それでも、もともと主語や、そこにかかる語句の多くを
日本語は省略することが多かった。

たとえば『日本人』という主語で、『食にこだわる』という単文を作った場合

その『日本人』の含む主語を、正確に英訳すると、おそらくこうなります。
“the most of people in Japan”
さらにwho livedをつけてもいいかも知れませんが(笑) 英訳の正確さはさておき

こうした隠された定義を、文より読み取ると、以下のくだらない論争の火種は回避できます。

「日本人の中にも、味音痴もいれば、食の細い人もいるだろうし、他の国にだってグルメはある」


これは、揚げ足とりと呼ばれる反論です。

日本の言語文化のなかでは、こうした誰でも知っている事実、当たり前の事柄を
省略して語る慣例がありまして

「日本に暮らす、より多くの人々は」という
まどろっこしい、持って回った表現を忌避する、このことを理解せず

単純な文法のみで、言葉を学んでしまったのではないかとさえ
疑ってしまいます。
言語とは、慣例と文法で成り立っています。今さらですが、慣例とは通俗と紙一重の関係にあります。


ところが、昨今
この誰でも知っている事実を、わざわざ口にしないという言葉の使い回しの苦手な人々が出てきました。

それが読解力のない日本語を話す人々です。

彼ら曰く、わざわざ誤解を招く言い回しをするな。だそうですが
外国語に翻訳する時のみ気をつければよかった、これら決まり事を
混ぜっ返して、さらに

「短縮、省略語が日本語を乱す」という明後日の問題と、ひとくくりに語るのはいかがか。
そう思いました。

ちょっと前に流行った
KYや、キモカワというような言葉使いと

こうした既知の内容を含む、定義の省略といった「言葉の足らなさ」というものは
根っこに近いものを含んでいても
言語の集合化、暗号化、記号化という要因では、あきらかに別物です。

同じ土俵に並べるには、やや説明不足なのではないかと


クソ暑い中、そんなことを考えてしまいました(笑)
いやー暑いわ。